前回の“鎌倉おもいつ記”へ
第7回 滑川の橋をたどってみたら (前編)
♪今はもぉ秋〜 早いもんですなぁ。
前回の“鎌倉おもいつ記”からかれこれ小一年も経ってしまいました。 本当にあっと云う間に秋なのです。
そこで今回は「鎌倉なんぞでも散策してみっかな。」と云う方に、まあ、あんまり紹介もされていない鎌倉の川と橋をご紹介
しようと思うのであります。
鎌倉の街中を流れていて、最もポピュラーな川が滑川です。この川は私の住んでいる所からも近く、またこの川に流れ
込む衣張山からの支流は我が家のすぐ前を流れておりまして、毎日この名もない支流と本流の滑川のせせらぎを聞きな
がら会社通いをしているわたくしは四季を通じてこの川には大変深い愛着を抱いておるのであります。夏はいつも海にば
かり行っておりましたが今年の夏休みは何となくこの川を散策してみようかなと思い、何となく鎌倉の地図や案内書を引っ
張り出してこの川の事をちょこっと調べてゆく内になかなか面白いことを発見したのであります。 ジャ〜ン!!
朝比奈峠に源を発し、十二所・浄明寺・二階堂・大蔵・小町・大町・材木座を流れて由比ヶ浜に注ぎ込んでいるこの滑川
は全長6.3キロメートルで・・・ (すっかりボランティアのガイドおじさんです)川としては中級と云うところだそうですがなんと
「一川六名」六つの名を持っているのであります。
“上流にては胡桃川と云う。浄明寺の前より下までを滑川と云う。 其ノ下文覚屋敷の辺にては、坐禅川と云う。
其ノ下小町にて夷堂川と云う。 其ノ下延命寺の脇、大鳥居の辺りにては、炭売川と云う。 其ノ下閻魔堂の前にては、
閻魔川と云う。” 「鎌倉志」より
どうです。僅か6キロちょっとの川に6つの名前があるんですから、1キロごとに名前が変わるようなもんですな。
街中を流れている川だから、それだけに庶民の生活に密着していて色々な呼び名がついたのではないでしょうかね。
そこで鎌倉には「鎌倉十橋」と呼ばれる橋がある、との事を思い出して更に調べてみますと(鎌倉の橋のガイドさんにで
もなろうかしらん)なんと十橋の内、八つの橋がこの滑川とその支流に架かっていたのであります。 やはりこの滑川と
云う橋は鎌倉にとっては大変な存在なのでありますな。 ふ〜む益々愛着が湧いてくるワイ。
では、ここでまずその八つの橋ご紹介しておきましょう。 それぞれの橋にはなかなか興味深いいわれや歴史的背景な
どがあるのですがその辺の事はわたくしなどが説明するより専門書やガイドブックにおまかせして、ここでは橋の写真と
何処に架かっているかだけのご紹介にしておきます。 鎌倉の地図がある人はお手元にすぐ用意をして下さい。
乱橋 |
逆川橋 |
琵琶橋 |
裁許橋 |
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勝の橋 |
夷堂橋 |
筋替橋 |
歌の橋 |
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1.乱橋 みだればし(材木座妙長寺近く、乱橋川に架かっていたが現在はない)
2.逆川橋 さかさがわばし(大町四ツ角近く、逆川に架かる)
3.琵琶橋 びわばし(下馬四ツ角近く、佐助川に架かっていたが現在はない)
4.裁許橋 さいきょばし (御成小学校近く、佐助川に架かる)
5.勝の橋 かつのはし (寿福寺門前、扇ヶ谷川に架かっていたが現在はない)
6.夷堂橋 えびすどうばし(本覚寺門前、滑川にかかる)
7.筋替橋 すじかいばし(雪ノ下、西御門川に架かっていたが現在はない)
8.歌の橋 うたのはし (二階堂、滑川に架かる)
以上の八つの橋の内二つが滑川に架かっており、あと六つの橋はその支流に架かっているのです。
尚、「鎌倉十橋」のあと二つの橋は9.針磨橋 はりすりばし(極楽寺川)と10.十王堂橋 じゅうおうどうばし(山ノ内)
であります。
こうして橋の事などを調べてくると、滑川には一体いくつの橋が架かってんだろう? どんな橋があるんだろう?
等々色々な事が気になり始めてきて、じゃあ全部渡って、ぜ〜んぶ写真に撮っちゃおう。と云う事になったのでありま
す。さて、そこで悩んだのが出発地点です。 朝比奈の源流地点から出発すべきか、はたまた由比ヶ浜の河口から出
発すべきか・・・。 しかし結論は「源流方面はどうも複雑そうなので、やはり分かりやすい海のほうからにしよう。」と云
う単純な発想の元にいとも簡単に出発地点は河口側からと勝手に決定したのであります。 ところで、どうでもいいの
ですが我が家はこの滑川の中間あたりにある犬懸橋の近くなのです。 それでは、ともあれ「滑川の橋めぐり」出発!
といきましょう。
1.滑川橋 (なめりかわばし)
由比ヶ浜を目の前にした河口に架かっており、国
道134号線海岸道路とともにに出来た大きな橋で
す。昔はどんどん橋といって仮橋のあった跡との事
ですが、今やこの橋はいつも車の洪水で特に夏など
は海水浴客で大賑わいであります。
2.海岸橋 (かいがんばし)
滑川橋がすぐ近くに見渡せます。(写真右) この海岸
橋の近くに支流の「乱橋川」が流れ込んでおりまして、
材木座の妙長寺の門前に“鎌倉十橋”の一つ乱橋(み
だればし)が架かっていたそうですが。現在は暗渠とな
っており史跡碑のみが建っています。
3.上川原橋 (かみかわらばし)
材木座海岸から大町へ真っすぐ伸びたバス道路
(大町大路)に斜めに架かった赤い橋です。
衣張山に水源を発する「逆川」がこの橋の付近に
流れ込んでおり、ここに“鎌倉十橋”の一つ逆川
橋(さかさがわばし)が架かっております。
4.閻魔橋 (えんまばし)
鎌倉女学院のすぐ横に架かっております。かって閻
魔堂が由比ヶ浜の大鳥居付近に有ったそうです。
(元禄十六年の地震で大破し建長寺に移される。)
そこでこのあたりを流れる滑川を「閻魔川」といい、
そこに架かる橋を閻魔橋と呼んだのだそうです。
5.延命寺橋 (えんめいじばし)
延命寺に近いこの橋のところで滑川に合流するの
が銭洗弁天あたりから水源を発した「佐助川」で、
この川には“鎌倉十橋”の二つ、裁許橋(御成小
学校近く)と琵琶橋(下馬四つ角の南寄り)が架か
っています。
6.大町橋 (おおまちばし)
下馬四つ角交差点の坂上に架かっています。
海蔵寺の山から流れ出した「扇ヶ谷川」は寿福
寺の前を流れてこの橋のところで滑川に注いで
おり、寿福寺門前に“鎌倉十橋”の一つ勝の橋
がありす。(現在は暗渠)
7.下川橋 (しもかわばし)
ここはちょっと分かりにくい橋ですな。大町四つ角
から本覚寺に行く途中の小路を左に入った所にひ
っそりとあるんです。この橋を渡り、曲がりくねった
坂道を下り切ると若宮大路の横須賀線ガード下へ
出ます。知る人ぞ知る抜け道であります。
8.夷堂橋 (えびすどうばし)
本覚寺の門前にあり、“鎌倉十橋”の一つで大町
と小町の境に位置する橋です。小町からこの夷堂
橋を渡った比企ヶ谷の奥が妙本寺です。(写真右)
明治大正時代まではこの夷堂橋から大町四つ角ま
でが鎌倉の銀座だったそうです。
9.琴弾橋 (ことひきばし)
夷堂橋から小町大路を北に向かって100メートル
ほど行った小路を右に曲がると朱色のなんとも風
情のある橋が見えてきます。 これが私の大好な
「琴弾橋」です。へ〜っこんな所にこんな可愛いい
橋があるんかいな、と思わずニンマリです。
10.東勝寺橋 (とうしょうじばし)
北条高時の墓である「腹切りやぐら」への標識を
見て小町大路を右に曲がると東勝橋が見えてき
ます。この橋からの滑川の眺めは格別です。この
橋の先に高時が新田義貞に攻められて一族郎党
と共に自害した東勝寺跡があります。
11.宝戒寺橋(ほうかいじばし)
萩の寺として知られる宝戒寺の真裏にひっそりと
架かっている実に風情のある橋です。この橋の
袂には昭和のよき時代を思わせる家屋も残って
おります。(写真右)橋を渡ったすぐ先に「紅葉ヶ
谷やぐら」が見えてきます。
12.大蔵稲荷橋(おおくらいなりばし)
この橋の名は地図や案内書にも殆んど出ており
ません。又この橋の先にある「大蔵稲荷神社」も、
まず紹介されているのを見たことが有りませんな。
こんな所にこんな神社とそこに渡るための橋が架か
ってたりするからたまらんのですよ。
13.大御堂橋(おおみどうばし)
さて、前編の締めくくりは丁度この川の中間に位
置する「大御堂橋」です。金沢街道と大塔宮(だい
とうのみや)参道の岐れ道を右に道を取り左手に
「関取場跡」の碑を見て信号を右に曲がるとすぐ
です。 この橋の左下の滑川ではカルガモ親子が
仲良く遊んでたりします。この橋を渡って滑川沿
いに続く道が「田楽辻子(でんがくずし)の道」と云
われる小径で「釈迦堂切り通」「衣張山」や「報国寺」へと続く絶好の散歩道なのです。
如何でしたでしょうか?
それぞれの橋のいわれや歴史的背景などについては専門書のおまかせしましょう。 とにかく鎌倉の街中を流
れる滑川にはこんな橋が架かっているよ。と云うだけのもんですが、 秋風に吹かれながらの橋めぐりなんぞは
どうでしょう。 次回は大御堂橋から金沢街道に沿って朝比奈の源流へと向かいます。 あといくつ橋があるのや
ら、地図やガイドブックに無い素敵な橋が見つかるといいのですが。 ではまた後編で・・・ (02.09.29)
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