第2回 「裕次郎本に愛をこめて                   前回の“店主のくりごと”へ

 わたしは日本映画の大ファンなんですが邦画ファンと言っても小難しい芸術映画じゃなくてあくまでも娯楽映画が好きなんですね。わたしが映画を見まくった昭和30年代は戦後日本映画の黄金時代でありまして、映画が娯楽の中心だったんですな。だから映画スターと言ったらそれはそれはもう雲の上の憧れの的でありました。そしてわたしの年代の人なら、なんと言ってもスターは石原裕次郎なんです。「いやわたしは違う」とか言ってはいけません!どうしても「いや違う!俺は美空ひばり一筋だ。」と言う人がいてもわたしとしましては「まッ、いいか」と聞き流して先へ進むだけなのです。 とにかく裕ちゃんの人気ってえものは、そりゃ大したもんで老若男女、そうです男も女も、大人も子供もみ〜んな裕ちゃんファンだったんですからね。キムタクどころの騒ぎじゃない!冗談言っちゃいけません。そんじゃ〜何でそんなに裕次郎が人気あったかってえと、まあ一口じゃ言い切れないし、裕キチのわたしが喋ると贔屓の引き倒になっちゃうんで裕ちゃんに関する本をドバ〜ッと目の前に叩きつけて「さぁどうだ文句あっか。さぁ殺せ!」と言うしかないのであります。

 石原裕次郎に関する本は彼が亡くなってから追悼記念として随分たくさん出版されたんですが、その中には既に使い古された伝説とも言うべきエピソードをただ羅列しただけなんて云うつまらん本も有るし、更にそんな本の中から書き移したようなものまであって著者の厚顔にあきれるばかりか、裕次郎ものなら何でも商売になると考えているあまりにも無知な編集者にはメチャクチャ腹が立つんですな。しかしまあ、裕ちゃんファンのわたくしとしては必死になって集めてきた本を当“鎌倉キネマ堂”でコーナーまで作ってズラリッと並べたんですからお客さんにはぜひ覗いて頂きたいのでありまして、そこで今回はチョイト裕ちゃん本のご案内までという事でご勘弁のほどを。
 

  先ず内容別に分類してみると              @デビューからスターへ裕次郎物語本

@    デビューからスターへ・裕次郎物語本

A    スタッフや友人によるエピソード本 
                           
B    裕次郎の時代を捕らえた・社会現象本

C    裕次郎映画の・映画評論本

D    裕次郎そのものを論じた・人物論本
E    追悼そのものの・追悼本

F    写真集         
                        
G    裕次郎本人、まき子夫人による本

H    雑誌関係(週・月刊誌、グラフ誌)

I    その他(作家のエッセイ、楽譜
集)
 とまあこんな分類になるんですな、しかし@ABなどはそれぞれ係わり合いがあり、きっちり区別し難いし、EFGも関連しているところがあってエピソードが重なって出てきたりするんですが、まあその辺はあまり固いこと言わずにと言う事で次へ行きましょう。

 さて、次に@の「デビューからスターへ・裕次郎物語本」をリストアップしてみると

「ターキー放談 笑った、泣いた」   水の江瀧子(‘84文園社)

「ひまわり婆っちゃま」          水の江瀧子 (‘90婦人画報社)

「みんな裕ちゃんが好きだった」    水の江瀧子 (‘91文園社)

「窓の下に裕次郎がいた」        井上梅次 (‘87文芸春秋社)

「俺の裕次郎・日活宣伝マンの熱い日記 小松俊一  (‘89にっかつ出版)

「弟」                     石原慎太郎(‘96幻冬社)

「石原裕次郎物語」            鈴木義昭著(‘89近代映画社)

「裕次郎・君は冬のカモメか」      加藤康一  (‘87朝日放送出版)

「石原裕次郎」               木下英治  (‘88勁文社)

 こんなところが石原裕次郎のデビューからスター街道を突っ走る辺りを描いた本で、裕次郎誕生秘話とも云うべきエピソードが色々出てきて最も面白いところなんで、この辺りの本の中から裕ちゃんのエピソードで信憑性の高い本をいくつかご紹介しましょう。

  裕次郎のデビューについてはもう誰もが知っているように兄石原慎太郎が文壇に華々しく登場した芥川賞受賞作「太陽の季節」の日活における映画化がきっかけとなっているのはご存知の通りですが、ただこの映画化に関するエピソードや裕次郎デビューのいきさつが本によって少しずつ違っていたりするんですね。(まあそれを色々比較しながら読んでみるのも面白いんですが。) 先ず裕次郎が映画界に登場する話に関しては育ての親である水の江瀧子さんの本がなんと言っても信憑性がありまた面白いので、この水の江瀧子の三冊の本を取り上げる事にしちゃいます。
 SKDのトップスターだったターキー(水の江)が日本で初の女性映画プロデューサーとして日活に入ったのが昭和29年。映画にはそれまで何本も出演しているターキーなんですがプロデューサー稼業はまったくの素人。まだ十四歳の少女だった浅丘ルリ子を「緑はるかに」でデビューさせたり、日劇ミュージックホールに出ていた岡田真澄をデビューさせたりと他のプロデューサーとは一味違った作品創りをしています。当時の日活は映画製作を再開したばかりで他社から引抜いた監督、俳優でかろうじて製作している状態だったんですが、それも五社協定により出来なくなり役者不足、スター不足だからとにかく自前でスターを作ろうと全社上げて必死だったんですな。映画製作にはまったく素人のターキーがプロデューサーに成ったのもそんな状況だったからであり、またそんな状況だから裕次郎は生まれたとも云える
んですな。

 そこで石原裕次郎デビューのいきさつを先ず                 
 水の江瀧子の
「ターキー放談 笑った、泣いた」から見てみましょうか。

   第一章    「日活プロデューサー時代のとっておきの話」では         

“私が見つけたキラ星青春スターたち”

“いまだから話せる石原裕次郎のロマンス・事件・騒動”

“日活黄金時代の原動力となった青春スターたち”

等々 ターキーの奔放な喋りっぷりで実に楽しく読ませてくれます。 自分の事をアチシと言って伝法なべらんめえ調で語る彼女の話の端々に裕次郎に対する育ての親としての愛情が滲み出ていて、こちとら不覚にも涙が滲んできてしまいます。この本は裕次郎と日活の事ばかりでなく帯に“石原裕次郎から萩本欽一まで総勢64人の裏話”と謳われている通り芸能人からスポーツ選手そして文壇の人まで登場し、その人脈の広さにターキーが如何に大スターであったかが窺われると共に、そんな大スターであったからこそ大スターを見出す事が出来たのだろうと納得してしまうんですな。
「いよ〜ぉ、ターキー!水の屋ぁ〜。」

 次に、「ひまわり婆っちゃま」は水の江瀧子の少女時代からSKD時代、日活プロデューサー時代そして現在(‘88年初版)までの聞き書きによる自叙伝です。帯に「ジュエリー・アーチストとして次なる人生を歩み始めた、悠々自適の“仙女”が語る70年。」とあります。
“仙女”と言うのが凄いね。

  第六章 「面白かった日活プロデューサー時代」では

 プロデューサーになったきっかけから裕次郎との出会い等々、前著書とダブル話もあるんですが、裕次郎との個人的な想い出を回顧する水の江瀧子の話にまたしてもわたくしは涙ぐんでしまうのです。

 たとえばこんな語りに、「裕ちゃんは、慎太郎さんが言うほど不良少年じゃなかったと思う。悪いと言っても、本当に悪いことするんじゃなくてね、今の子どもは右向けって言えば全部右向く、その中で一人左向いてたっていうような、そんな感じの人よ。本当に悪いことやってると、汚れが出るんですよ。どんなにすまして、いい顔しててもね、影で悪いことしてると必ず絵(映像)に汚れが出ます。でも、裕ちゃんは汚れが出ないんですよ、ちっとも。」
(帯にも抜粋された本文より。)

  さて“ターキー本”の三部作ともいえる三冊の本の最後はずばりタイトルが「みんな裕ちゃんが好きだった」で全編裕次郎に関するエピソードを集めた本なんです。サブタイトルに “ターキーと裕次郎と監督たち”とある通り「石原裕次郎と共に映画に青春をかけた男たち熊井啓、蔵原惟繕、舛田利雄、松尾昭典ほか、監督たちが語る日活黄金時代と、女性1号プロデューサー水の江瀧子の物語」(帯より)なのであります。
 初期の裕次郎映画
13本を取り上げそれぞれの作品の監督やスタッフ達が裕次郎と水の江瀧子そして作品について語ると言う構成になっていて実に生々しいお話が聞けるんですな。昭和三十年代はさっきも言った通り日活のみならず日本映画戦後黄金時代で、毎週二本立て興行で撮影所はフル回転していて、裕次郎クラスの大スターになるとなんと月に一本以上のペースで主演作品が作られ殆ど撮影所に入り浸りの状態だから俳優とスタッフの結びつきはかなり強かったんでしょうね。そんなたぎるような映画作り、スター作りに対するスタッフの熱気と思い入れがこの本からズンズンと伝わってきてもう嬉しくって眠れなくなっちゃうんですね。それでは、この本に取り上げられた裕次郎映画をリストアップしてみるてぇと。  (どうも何故か志ん生になっちゃうな。)

「太陽の季節」「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」「陽のあたる坂道」「紅の翼」「清水の暴れん坊」「鉄火場の風」「やくざ先生」「闘牛に賭ける男」「銀座の恋の物語」「憎いあンちくしょう」の13本。

 尚、この中で「嵐を呼ぶ男」「陽のあたる坂道」は水の江瀧子プロデュースではないのです。その辺の事情を井上梅次監督が本書の中で「これは僕らには分からない会社と水の江さんの問題なんですけど、せっかく裕次郎を見つけながら、ご不満だったかと思うんですがね。」と微妙な発言をしています。

 さて、紙面の都合上、いやあまり長くなってもなんですから今回はこの辺で失礼をば。
                                                       (01.02.18)
                                           “店主のくりごと”第3回へ

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