先ずトップバッターは、当然です。前回の「裕次郎本に愛をこめて」の余韻を引きずりつつ、1987年7月31日号「追悼大特集:石原裕次郎の想い出」の登場です。 “嗚呼、我が青春はついに終わったか。” と多くの我々の世代の人たちが嘆き悲しみ夜が明けるまで裕次郎映画について語り、あちこちの酒場で一晩中裕ちゃんの歌がカラオケで唄われたと云うあの7月17日から僅か2週間たらずで発売されたのがこの追悼号のなです。この号にはわたくしも些か“想い出”深いものがあり、手に取っただけで涙が滲むのであります。 その夜わたしは渋谷のとある飲み屋に居りましたが、そこで隣の客が「裕ちゃんが死んじゃったんだってね。」と云ったのを聞きいた途端、わたしの顔からサーッと血の気の引くのがはっきり分かったと一緒に飲んでいた人が云ったほど、わたしはショックだったのです。その場で一緒に飲んでいた人には失礼して、新宿ゴールデン街の裕ちゃん狂の集まるバー“まこ”へ素っ飛んでゆきました。するとそこのママが「あなたに電話があったわよ。」「誰から?」「かわなかさんよ。 なんか凄く急いでたみたい」とそんな会話をしていると、そこに電話があり「アサヒグラフが裕次郎特集を緊急に組むので裕ちゃんが載った雑誌が有ったら貸して欲しいって云ってるんだけど」と云うのです。 それからが大変。 飲んでいるのを一旦中止してアサヒグラフの記者と一緒に我が家まで行き裕ちゃん関係の本をあっちこっちから引っ張り出して「この本は絶対、必ず、間違いなく、返してよッ」としつっこく念を押して手渡し、また新宿の酒場に戻って朝まで飲み続けたのでありました。 まあそんな訳でこの号にはわたしが自慢の裕次郎雑誌が数点載っているのであります。 尚それらの雑誌は当「鎌倉キネマ堂」では販売いたしておりません。(あしからず。ウシシシシッ) なんか随分ここまでが長くなってしまいどうもきまり悪いですな。 こんな話がしたくって「アサヒグラフ」の話にしたんじゃないかって云いたいんでしょう? 実はそれも半分はあるかな。 まあ硬い事は抜きにして次に行きましょう。 しかしまた裕チャンの特集号になっちゃうんですね。 今お話した号から1ヵ月後の1987年8月28日号があの伝説的な裕ちゃんの青山斎場における葬儀の特集号「裕次郎 粋な別れ」であります。 もうこれは皆さんテレビや雑誌なんかでさんざんご覧になったと思うので特に説明は致しません。 そもそもグラフ誌はグラフィックを楽しむものだから余計な説明はイランのだ!とおっしゃる通りでありますな。 それではこれからはサラット行きましょうサラットね。 次は日本映画のを背負って立った3人の大スターのアサヒグラフをご紹介しましょう。 萬屋錦之介 いや〜ぁ。やっぱりわたしは中村錦之助と云いたいですな。 何てったって新諸国物語の「笛吹童子」に「紅孔雀」の錦ちゃんですから。 裕ちゃんが現れる前の小学生の時分はもうこれっきゃ無かったんですな。 どうです皆さん? でも「いや、俺は東千代之介だ。」と云う人もOKなのです。 この二人は「笛吹童子」でも「曽我兄弟 富士の夜襲」でも兄弟ですからね。 許しちゃうんです。 ちなみに「映画館」のアライさんなんかもう、千代之介の大ファンなんですから、駄目!なんて絶対云えません。 とにかく時代劇と云えば錦ちゃんを置いてありませんな。 そりゃアラカンもバンツマもおりますがやっぱし我々の年代は錦ちゃんでガス。 この号のサブタイトルにもある通り「笛吹童子」の美剣士から豪快な「宮本武蔵」までもうこの人は時代劇一筋であります。 華麗で、品があって、粋で、豪快でとこんなに3拍子いや4拍子も揃った役者は他には断じておりません。 「錦兄ィ」の悪口を言う奴はわたしが許しません! もうこの人の話なら裕ちゃんに負けず劣らず長くなっちゃうのでまた別の機会にと云う事で次に行きましょう。 “時代劇は錦ちゃん” といった手前なんですがやはりこの人を忘れる訳には行きませんな。 そうです。 世界の三船です。 何てったって世界のが付くんですから。 とにかく豪快と云やぁこの人ですな。 「七人の侍」の菊千代、「用心棒」の桑畑三十郎そして「椿三十郎」とまあどれもこれも凄いの一言です。 巨匠黒澤明にしごかれ、その日本人離れした風貌を遺憾なく発揮したその迫力ある演技はもう他の追従をゆるさない。(解説本みたい。) この人の事も話し出したら止まりませんのでこのくらいにして置きましょう。 さて次ですが、これがまた凄いんです。 もうこれこそ役者の中の役者と云ってもいいのではありませんか。 そうです。 勝 新太郎であります。 ジャーン! どうですか?ナニがって、そのなんですよ。 とにかくもうどうしょうもなく役者なんでありますよ。 人生そのものを役作りで通しちゃったと云うこれまた凄い人なのですな。 こんなに勝新にしか出来ない、オリジナリティーのあるシリーズを作った人も無いのではないかとわたしはつくづく思うのですがどうでしょうか皆さん? 「座頭市」、「悪名」、「兵隊やくざ」どれも勝新しか出来ない、勝新あっての凄いシリーズだと思いませんか? しかしなんですな、あの巨匠黒澤監督の「影武者」の武田信玄を勝新で見られなかったと云うのは全人類の不幸ではないでしょうか? まあ“両雄並び立たず”と云うんでありましょうな。 残念で、無念で涙無くしてはわたしは語れないのであります。 あっ、どうもまたまた話が長くなりそうなので勝新についてもこの辺にしておきましょうか。 何しろ日本の娯楽映画を背負って立った大スターばかりがゾロリと揃って登場なんですから話は尽きないのでありますが、あまり役者の話ばかりしているとアサヒグラフが何処かヘ行っちゃうので次へまいりましょうか。 次は、先ほど登場した三船敏郎をしごきまくった巨匠黒澤明監督を丸ごと一冊特集した1980年5月1日号の増刊 「黒澤明の世界」であります。 ●撮影同時執筆未公開絵コンテ「影武者」 ●フォト・ドキュメント「黒澤明ロケ現場の一年」等々の内容になっておりますな。 何しろ巨匠は画家志望であったとの事でなかなか絵がうまくて「影武者」の絵コンテの迫力には実に感心させられるのであります。 本編より強烈なイメージが有ったりするんですな。(ついでながらこの「影武者」の画集は当店映画の本のページKS098に有ります。) しかし「影武者」はやっぱり勝新でやって欲しかったなぁ、とまたまたしつこく考え込んでしまうのであります。 そして、こうして見てまいりました裕ちゃん、錦ちゃん、三船、勝新それに黒澤監督と日本の映画黄金時代を背負ってきたこの方たちは全て、もう鬼籍に入られているのです。 寂しい限りです。 日本映画の21世紀はどうなるんでしょう。 なんか湿っぽくなってきてしまいましたな。 では、この辺で次にいりましょう。 今度は1981年10月5日号の増刊「時代劇 侠と狂の世界」であります。 この号の“編集室から”にはこう書かれています。 「今までに類書の多いこのジャンル、不満はスター、作家中心ものばっかりだった。 そこでヒーロー、アンチ・ヒーローの側に立って、チャンバラ映画60年史の再構成を試みた。」との事で●「斬りむすぶ劇画五人衆」小島剛夕、平田弘史、石森章太郎、さいとうたかを、棚下照生の劇画集、●「昭和ちゃんばら映画剣士八人衆」等々なかなか見ごたえある増刊号になっております。 その他「キネマの盛衰[大正元年―平成5年]日活」(1993年10月22日号)、「ハリウッド 1920−1985」(1985年9月25日増刊号) そして最後に映画物ではありませんがわたくしの好きな挿絵を特集した「さしえ・マンガに見る昭和の50年」なんてところが当店に並んでる“アサヒグラフ”なのであります。 如何でしょうか? アサヒグラフは凄いでしょう。 イイでしょう。 本当は手放したくないものばかりなんですが独り占めしとくのもなんですから店に並べるだけでなくこんな特集をやってみたのであります。 (スキャニングの関係で表紙が一部欠けております。) 皆さん、これらのアサヒグラフをお買い上げになって読み終わり、 もしいらなくなったら今度は私に売って下さいな。 又この店で他のお客様に売ってあげたいと思ったりするのです。 (おっと、この原稿を書いているさなかに外国の方からご注文が入り、増刊号「追悼 三船敏郎」が売れてしまいました。) それではまた、わたしの繰言をそのうちに。 (01.03.11) “店主のくりごと”第4回へ |